戦国武将のお話 その4

2022.08.24

CATEGORY : 歴史 雑記

こんにちは!陸奥守です。

7月21日に信長の野望シリーズの新作(新生)が発売されたのですが、前作(大志)がいまいちだったので様子見してました。
そこで先日、そろそろ評価が出そろってる頃かと思ってレビューを見てみたところ、思いのほか評判が良さそうでしたのでついに購入しちゃいました!
(モンハンも飽きてきた頃なので……)
今回は難易度が高めなようですが、内政がやりがいあって早速はまっています。

それはさておき、今回は四国の武将をご紹介します。
四国といえば長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)が有名ですが、やはりマイナー路線でいきたいため、伊予国(愛媛県)から

金子元宅(かねこ もといえ)

という武将をご紹介します。

    • 概要
      元宅は1551年に東伊予の新居(新居浜市)に生まれ、金子城の城主として石川家に仕えておりました。
      元宅の代にはすでに家中でもかなりの権力を有していたようです。
      1580年代になると、土佐・阿波・讃岐(高知県・徳島県・香川県)を制圧し四国制圧に勢いづく長宗我部氏が伊予へ攻め入ってきます
      このとき元宅は主家を調略した上で長宗我部氏と同盟路線をとり、毛利氏と手を組む河野氏の攻略に貢献しました。
      なお、裏では毛利氏(小早川隆景)とも交流をもつという器用なことをやってのけています。
      単に近隣の大大名に従属するだけではないあたり、やり手ですね。
    • 天正の陣(1585年)
      本能寺の変(1582年)後、柴田勝家を破り天下獲りに勢いづく羽柴秀吉は、毛利氏を従属させると四国征伐を開始します。
      このとき四国の支配者であった長宗我部元親は徹底抗戦を唱え、元宅もそれに同調して戦いました。
      時流を見極めることのできた元宅は、秀吉に抵抗しても勝ち目がないことはわかっていたでしょうが、
      「昨日は長宗我部に従い、今日は小早川に降る。土佐の人質を見捨てて他人に後ろ指を指されるのは武士の本意ではない。」
      と言い放ったそうです。
    • 羽柴秀吉の命により3万の軍勢で伊予へ攻め寄せた小早川・毛利軍に対し、元宅は自分の子や主家の子らを土佐へ逃がした上で僅か2千の兵で迎え撃ち、最後は高峠城に火を放って奮戦するも及ばず自刃しました。
      敵でありながら交流のあった小早川隆景も元宅らの見事な散り様を称え、亡骸に向かって自ら弔いの舞を踊ったそうです。
      ちなみにこの際に合わせた拍子がトンカカと聞こえたことから、トンカカさんという踊りが生まれたとされています。

元宅の最後を勇敢とみるか無謀とみるかは人それぞれでしょうが、やはり私は心が震えますね。

それではまたの機会に|ω・)ノシ